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「い-や-! あやはどこにもいかないの。おしごとならいつもみたいにあやをおいていけばいいじゃない」
「家族は一緒に居るものでしょう? 日本にはほとんど帰れなくなるのよ。彩ちゃんを置いていくなんてできるわけないの」
「パパもママもいらない。あきちゃんとかぞくになる」
「これ以上、明弘に迷惑をかけるわけにいかないでしょ」
酷く似通った母娘の諍いは、成田の出発ロビーでも人目をひいていた。
「あきちゃんやだよ。あきちゃんとばいばいしたくないよ。あやをあきちゃんのおうちのこにして?」
大事な大事な幼なじみと、大事な大事な親友の娘は、俺の脚に縋って泣きじゃくった。
今までの「バイバイ」には「また明日」といった意味が含まれていたけれど、今日のは違う、ということをこの娘なりに理解しているのだろう。
彩の明日に、俺は居ない。
そして、俺の明日にも彩は居ないんだ。
彩の母親より余程慣れた手つきで、彩を抱き上げる。
軽くキスを落としながら、トントンと背中を叩いて彩の呼吸と心音を整える。
「俺ともう二度と会えないわけじゃないだろう? 彩が良い子にしてたら、また会えるよ」
半分は泣きじゃくる彩を宥めるためだったけれど、残りの半分は自分に言い聞かせるための言葉だった。
この娘の存在が、どれほど自分の日常にとって大きいのかを今更ながらに気付かされる。
「――あや、いいこじゃないけどいいこになる。いいこでいるから、つぎにまたあえたときには、あきちゃんのおよめさんにしてくれる?」
彩は、十分にいい子、だよ。
少しだけ我儘で、それでもその何倍も可愛くて――。
泣き腫らしたそのウサギの目からは、さらにぽろぽろと大粒の涙が零れてきていた。
その涙をきゅっと拭ってから、彩を降ろす。
「そうだな。彩がイイ大人の女になったら考えてやるよ」
「おとな?」
「そう、しかもとびっきりのイイ女になったら、だぞ?」
「うん、がんばる。やくそくだからね?」
小指と小指を絡ませるゆびきりげんまん。
繋がれた指の離れる瞬間が無性に寂しくて仕方なかった。
「あきちゃん、だいすき」
娘同然のその子供は、赤い目を除けば満面の笑みでNYへと旅立っていった。
俺の頬に、やわらかな感触だけを残して。
それは――、彩が3歳、俺が22歳の冬で、全ての始まりだった。
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