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とはいえ、俺もいいトシしたいい大人なわけで、苦手なだけではなく心の底から軽蔑している相手に対しても、条件反射で愛想笑いを貼りつけることくらいはできるようになった。
「うちの娘とのことだ。以前も言ったと思うが、彼女の婿には君を、と考えている――。君には決まった相手がいるわけではないんだろう?」
疑問の形を取ってはいるが、『決まった女がいるんだったら身辺整理をしておくように』という命令であることは明白だった。
俺にNOという自由なんて端から無い。
お嬢さんとのことは、前々から打診されていた話ではあった。
医学部じゃあるまいし、ウチのような基礎研究の研究室で入り婿ってのはあまり聞かないし、今まではなんとなく仄めかされる程度だったと認識している。
しかしながら、今日は具体的なアクションプランを提示してきた――ということは、『無期懲役刑』が俄かに現実味を帯びてきたというわけだ。
27歳になるお嬢さんも34になった俺も、適齢期を少し過ぎたからかもしれない。
或いは、俺の忠誠と服従を再確認しておく必要が生じたのかもしれない。
あーあ、恐れていた瞬間がやってきてしまった。
無駄に終わると知りながらも、抵抗だけはしてみる。
「――特にそんな女性がいるわけではありませんが、お嬢さんの婿に私など――、自分には身に余るお話です。私などよりも、もっと素晴らしい方がいらっしゃるかと……」
とはいえ、捕食者に逆らえない被食者としては、のらりくらりと逃げて、刑の執行を引き延ばす程度しかできない――のだけれど。
こんなときこそ素晴らしさを痛感する、ほぼ定型表現化した『婉曲的なお断り表現』を口にする。
客観的に見れば、美味しい話なんだろう。
近隣の大学にも村井教授は影響力を持っているから、このままいけば30代で教授、なんて未来も見えている。
そして、教授のリタイア後にはこの研究室の教授に呼び戻されることになるんだろう。
そんな未来なんて、カケラも望んではいなかったけれど――。
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