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「何を言っている。この私が君に決めた、と言ったんだ。それに、君との話は娘だけでなく家内も乗り気でな――、桧山君を昔のように夕食に誘え、と言って聞かんのだよ」
「そんな――、物事の分別もつかなかった学生時代だからこそ先生のお宅に伺うこともできましたが、今となってはそんな恐れ多いこと」
「だろう?だから、家内に言ってやったんだ。若い者は若い者同士で話した方がいいんだ、とな」
にやりと笑うところにタヌキの嫌らしさがにじみ出ている。
『できません』
俺のノーを途中で遮ることで、彼はやんわりとした俺の拒絶を明確に拒絶した。
これ以上の反論は許さない。
他の誰でもない、『お前』が俺の命令に背くなど許さない、と。
「ですが!」
何も知らない人間が見れば温和そのものの笑みが一転して変わる。
顰められた眉には、最大限の不快感が現れていた。
「なんだ? 不満があるのなら言ってみろ」
「不満なんて恐れ多いこと――。ただ、私なんか、お嬢さんより大分年上な上につまらない男ですから、とてもお嬢さんの相手が務まるとは…」
それでも抵抗をやめないのは、敷かれたレールに乗ることが『破滅』を意味するからだ。
就職ではなく研究者になろうなんて思ったのは、自由に自分の研究がしたかったからだ。
このレールに乗ってしまえば、遠くない未来に確実に手に入る安定と引き替えに、自分の自由と、そして人間としての良心を失うことになる。
修士1年の秋の俺に手紙が書けるのだとしたら、今と違った未来を選べと何度でもしつこく説教するのだろう。
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