一章

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 この町の朝は噴水から始まる。  闇が薄暗がりへと歩を進め、やがて朝を告げる丸い火の玉が登ると、小さな町が姿を表す。煉瓦造りの赤茶色の町は、そのドーナッツ状の外縁を地平まで続く新緑の森に縁取らせ、中央には住民の住み処を侵食しないばかりに巨大な噴水がその水面を絶えず揺らしていた。  その噴水に四方八方から人々が集まり出すと、静けさに包まれた町は急に賑やかさを帯びる。輝く水面の噴水周りでは、身の丈以上あるその縁から溢れる水で水汲みや洗濯、果ては身体を洗う者までいた。  しかし、その生活用水とも言える噴水に集まるのは、何故か大人の姿は無く、大小様々ではあるが皆幼さを残した子供ばかりであった。中には大人と見紛うばかりの者もいたが、身体の大きさとあまり変わらないバケツを懸命に運ぶ幼児まで見えた。  その中に、白いフード付きの上着を羽織り、胸には黄緑色に輝く懐中時計をぶら下げた、色黒の小柄な少年がいる。年は十四、五といった辺りで、短髪を掻きながらいかにも眠そうな欠伸をしている。二つのバケツを右手に持ち、のんびりとした足取りで噴水に集まる人々の隙間を抜けて行くその少年は、今度は重たい瞼を擦りながら、また一つ大きな欠伸をした。  その間にも人々は朝の用事を済ます為に、居住区の煉瓦のアパートを出てきては町の中心に向かって行く。少年の耳には水飛沫の舞う音や順番待ちの雑踏、雑談の声に日を反射する滝の様な水の輝きすら、自分の眠りを誘っている様にしか思えなかった。  しかしそんな睡魔の直中にいて、少年が寝ずに済むのは、時計の針の進む微かな音が、他の音に紛れて聞こえて来るからであった。見れば誰もが少年と似たような、様々な色の懐中時計を身に付けていて、少年は誰かの時計の針を打つ音が聞こえる度、しかめっ面に舌打ちをした。  少年はこの音が嫌いだった。しかし、周りの子供たちが針の音のする度に喜ぶのを見て、疎外感を感じていたのも事実だった。  やっと自分の順番が回って来た少年は、二つのバケツを両手に一つずつ持ち、溢れる滝に伸ばすや否や、直ぐに手を引っ込めると、あっと言う間に一杯になったバケツを持って、そそくさと人の群れから抜け出した。  そうして少年は、自分のアパートとは別の方向に向かって歩き出した。
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