一章

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 主は隣で怪訝な表情の翼を無視して、ヤカンから乱暴にコップに紅茶を注ぐと、義手とそうでない右手で器用に二つのコップを持ち、丸テーブルの上に置いた。そうして義手で翼を招く手振りをすると、先程翼が座っていた椅子の向かいに、つまり南の窓の下の椅子に長い手足を落ち着かせた。  翼は上目遣いに主を睨みながら、黙って先程の場所に腰を下ろした。すると主は紅茶を一口啜ってから、気付いた顔をしてまた立ち上がり、キッチンの下を探り出した。  「なあ」翼は再び、キッチンにいる主に声を掛けた。「陣さんが歌ってるって事は、良い歌なんだろ」  主――陣は、翼の言葉など聞こえてない様に探し物を続け、しばらくすると、あったーと大きな声を出して喜び、スナック菓子を三袋程持って戻ってきた。  そうして再び椅子に腰を下ろすと、  「お前が向こうの物に興味あるなんて、珍しいな」 と、言いながらスナックの袋を開けた。  「陣さんもじゃん」  そう言いながら苦笑する翼を余所に、陣はスナックを口に放りながら紅茶を啜る。陣の咀嚼の音が狭い部屋に響いた。  「ふぁっへほへは」陣は一度そう言いかけてから、口に含んだスナックを紅茶で流し込むと、「だって俺は、一度は大人になった人間だからさ。歌っても不思議はねぇだろ」  翼は、そうだけどと不満そうに言いながら、初めて紅茶を口にした。そうしてコップを置きながら、翼の頭には何であんな雑な入れ方で美味く出来るんだろうと疑問が浮かんだ。  陣さんはその間にもスナックを食べ進め、二袋目を開けていた。  「んで、良い歌かどうかだけど、まず間違いなく良い歌だ。曲調もどことなくしんみりしてて好きだが、何より歌詞がいいね。いつも笑い者だったトナカイが、ある日突然スターになるんだ。素敵な話だろ。俺は泣いたね」  陣は一気に捲し立てると、コップを口元に傾けた。そして中身が無かったのか、渋い顔をして、三度キッチンに向かうと手荒な動作で紅茶を注ぎ、また椅子に座った。  「まあ、良い歌なのは分かったよ」翼はそう言うと、テーブルに置かれたスナックに手を伸ばしながら、「でもやっぱり、陣さんが向こうの物に興味持つのは珍しいよ。俺と同じ、大人嫌いだと思ってたからさ」  翼はそう言って菓子を一口ほうばった。咀嚼と共に甘い味が口に染みた。そのまま紅茶を啜ると、中々合うななどと思った。
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