一章

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 陣はその言葉を聞くと、まあなとまた慌てる様にスナックを噛み砕きながら話した。  「でも俺は、あっちの全部が嫌いな訳じゃねえよ。俺も一度は大人になったしな。ただ、向こうは良い事と嫌な事の比率がおかしいんだ。一対九十九って感じ。もちろん一が良い事な」  陣はそう言って、またコップを傾けた。翼はその間にスナックに手を伸ばして、何とか一粒を手に入れる事が出来た。  「なあ」翼は手に持ったスナックを見ながら、今度は目の前にいる陣に語りかけた。「陣さんはどうやってこっちに戻って来たんだ?一度大人になったら、もう子供にはなれないのに」  その質問を聞くと、陣は義手で髭を擦りながら、むーと困った声を出した。そしてから、今度はのんびりと口にスナックを運びながら、  「まあ、しちゃいけない事をしたんだ。ルールを破ったんだよ。だから大人の姿のまま、こっちに戻されて、周りから冷たい目で見られてよ。しかも時計も没収。俺は永遠に大人になれないって訳だ」 と言った後、一粒のスナックを口に放った。  翼は陣のその話を、スナックを噛みながら聞いていた。そして陣の、胸の開いたワイシャツの胸元に懐中時計を探した。もちろん見つかる筈はなかった。滅多に過去を話さない陣が、不意に差し出したヒントを手に入れ損ねた気がして、翼は何となく落ち込んだ気分になった。  「まあ、いいじゃねえか。お前は大人になる気なんかないんだろ。そんな事知る必要はねえよ」  陣は、もうその話はしたくないとばかりにそう言うと、スナックを大量に口に放り込んだ。  陣にそうされてしまい、何となく申し訳ない様な気分になった翼は、しかし、そうだけどとまた不満そうに言うのが精一杯だった。  「そうだけど、って何だあ?お前も大人になる気になったのか」  陣が馬鹿にする様にそう言ったので、翼は慌てて、そんな訳ないと反論した。  「だけど」しかし急に反論の勢いは萎えて、翼は俯き加減に、「もう知り合いが大人になって町を出て行くのを見るのは、ちょっと嫌かな」
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