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九州平定・五
島津勢に一斉射撃を加えた一軍から将が出てきて、
「大友家の朝倉一玄じゃ。者共、島津の輩を撃ち取れ。」
というと、鉄砲を連射し続けた。ある程度になると、吉岡統増、吉弘統幸らに切り込ませた。浮き足立った新手の島津勢は、別働隊の残兵を収容しつつ撤退した。
終戦後、岡城で立花道雪と会った朝倉一玄は、驚くことがあった。頬当をとった道雪は由布雪下であった。雪下は、朝倉に対して、
「過ぐる日、道雪様におかれましては、城中にて病にて他界。此度の策は、道雪様、臨終間際の計略にて。」
というと、朝倉は深く瞑目して、
「耳川の合戦で多数の戦友を失い、いま、また、道雪殿が逝くか。」
といって、目頭が熱くなるのを、懐から出した布で隠した。
その頃、大友氏を支援すべく、中国の毛利氏が九州に派兵。鷹取山城を毛利本隊を率いる吉川元春が本陣、立花山城に尼子軍を率いる山中鹿之介が入り、門司城に軍監浅利昌種、山本信共が加わっている赤松則房率いる赤松軍が入った。
九州入りした吉川元春は、島津氏に呼応する疑いがある筑前国古処山城主秋月種実、豊前国城井城主宇都宮鎮房に説明するように求めた。
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