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争乱割拠・二
各地で、幕府及び幕府寄りの諸将が抵抗に苦戦してる報告がなされているある日、近習小幡景憲が入ってきて、
「申し上げます。徳川家康殿が家臣石川数正より密使あり。徳川様、またもや悪い病が起こりそうな気配ありとのこと、徳川家のためにも、医師を派遣して頂きたいとのこと。いかが、とりはからいましょうや。」
というと信玄が、苦笑しながら、
「奉行天野存鉄を、河窪信実と穴山信君に警戒するように派遣して述べさせよ。」
というと、次に細川藤孝を呼び出し、事情を説明し、使者は誰が適任かと尋ねると、細川藤孝は自ら行く旨を伝え、信玄も迷ったが許可した。
また、淡路まで後退した三好康長には、引き続き、阿波での巻き返しを、安宅・森・真鍋の水軍に、讃岐の十河らにも助力するように命じる一方、志摩の九鬼嘉隆に、新たに開発させた鉄甲船を率いて助力するように命じ、紀伊の雑賀五箇荘及び紀伊安宅水軍、堀内に出陣を命じた。
九鬼嘉隆は、鉄甲船と、兵員輸送に徴発した大小の船を率いて出陣。
九鬼嘉隆は、鳴門海峡付近に展開する三好勢を乗せた水軍に、長宗我部勢を引き寄せる陽動作戦を依頼し、九鬼水軍は頃合いを見て、土佐と阿波境に将兵を上陸させた。
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