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争乱割拠・三
土佐と阿波の境目にある海部城を奪還し、守将黒岩種直を降伏させた九鬼嘉隆は、海部城及び近在の防御を堅固にした。
阿波侵攻軍の大将長宗我部親吉は、軍監江村親俊の諫めを聞かず、降将東条唯右衛門を呼び、
「兄関兵衛の仇を取るつもりで、海部奪還の先手をつとめよ。」
というと、福留儀重を奪還軍の大将、桑名吉成を副将に据えて派遣した。だが、数日して、海部奪還に向かった長宗我部軍は、九鬼が鉄甲船から陸揚げしていた大砲の砲撃に遭い、東条は直撃を受けて戦死し、福留と桑名らは、海部に近付くことも出来ず撤退した。
この報告を白地城及び讃岐攻略軍中にいた長宗我部元親は、長宗我部親武に指揮を任せ、実弟香宗我部親泰が守る本拠地岡豊城へ戻り、群臣らと軍評定を開いた。
重臣で神官でもある谷忠澄が進み出て、
「危急存亡にもなりかねなき次第、いかがなさいましょうや。幕府に恭順の意を唱えまするや、ご判断を。」
というと、群臣らも元親に視線を注いだ。元親は静かに話しだした、
「昔、わしは姫若子と言われ嘲られた。今は人が言うには土佐の出来人だそうじゃ。この元親、一戦もせず、やみこと無るべき事の義、屍の上の恥辱たるべし。」
というと、僧体の滝本寺非有がさらに言わんとしたが、元親は、
「骨は埋むとも、名をば埋まぬ。」
といって制した。
評定後、老将久武昌源が、谷・滝本寺兄弟に語った、
「御先代国親様は、父君兼序様が攻め滅ぼされ、中村御所一条房家卿に庇護された折、一条卿が戯れ言で、御所の高楼から飛び降りらば、家名を再興を叶えると言った折、躊躇せずに飛び降りたそうじゃ。その先代様の苦労をむげにはできまいて。」
と言うと昌源は、
「我が家も、戦死した倅の親信は家名を挙げたが、その弟親直で波乱の道に堕ちるじゃろうて。」
といって、谷兄弟を後にして退出した。
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