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争乱割拠・八
伊達と反伊達連合軍は、人取橋付近を中心に激戦を繰り広げていたが、一進一退の攻防を繰り返していた。
そこへ、幕府の命令を受けて、箕輪城から馬場信房が佐竹と蘆名の陣地に停戦を勧告、伊達の陣地にも、出羽の最上義光から幕府の命令に従い停戦するようにとの書状が届いた。
馬場は、続いて伊達の陣地に石川昭光を連れて赴くことにした。道中、馬場は昭光に、
「今は中央では、西国討伐に力を注いでいるゆえ、東国までは手がまわらぬ。ゆえに、石川殿をはじめとした幕府方の諸将がこのように戦をすると、北条につけこまれてしまうゆえ、くれぐれも自重願いたい。」
というと、石川昭光も渋々、納得した。
馬場は心中で、里見や宇都宮や那須らだけでは、北条包囲網は薄く、佐竹らの後援なくては北条に突破されてしまうと思い、自らが締め直す気でいた。
政宗は、右に負傷した姿の伊達成実、左に片倉小十郎をはじめとした群臣らを侍らせ、信房と対面した。
信房は、殺気だっている政宗らをなだめすかしながら、懇々と説いた。政宗は、
「我らは、二本松さえ討てれば良いのでござる。人取橋の戦にて、鬼庭左月、伊庭野外記を始め多数の者を失い、また、父に殉死した遠藤基信らを思えば、すべて二本松義継の悪計でござる。」
というと信房は、
「ならば、二本松をどうしても討たねばならねのですかな。」
といえば、成実が、
「奴らの首を据えねば、先代様の供養にはならん。」
というと、信房は今日の説得を諦め、同伴してきた駒井昌直と相談し、随行してきた中なら茶人鈴木重信を召し出し、虎哉宗乙に面談させた。
数日後、伊達の陣地に政宗の師虎哉宗乙が訪ねてきて鬼のようになって政宗を怒った、
「そなたは、幾人の者を殺めれば満足するのじゃ。みな数百人殺めれば、何千の者が悲しむ。そなたのようなこともわからぬのか、そのような悪鬼になったのか。先代輝宗公を死なせたのは義継ではない、うぬが慢心、驕慢のせいじゃ。たとへ、凶事をひきおこした義継であろうと、丁重に葬れば、このように怨みが怨みを呼ぶような戦いには至らぬ。輝宗公は慈悲深き名君、このようにはいたらぬ。汝はこの場で腹を切れ、さすれば無用な戦は終わろう。この拙僧が、弔ってやる、腹を切らぬか。」
という恫喝に、さすがの政宗もたじろぎ、翌日、信房と面会した政宗は、二本松から手をひくことにし、米沢に帰還した。
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