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争乱割拠・九
伊達政宗が米沢に退却したことで、反伊達連合軍は総退陣した。
馬場信房は、四本松城に駒井昌直を残して、大内定綱・片平親綱兄弟らに補佐を命じた。
一方、東北の合戦につけ込もうとした北条は、下野方面に北条氏邦を大将とした部隊を急派した。
だが、北条は下野侵攻を陽動作戦として、佐竹義重と主力がいない常陸へ軍勢を進めた。しかし、佐竹義重は、太田三楽斎ら猛将を控えに残しておいたため、北条軍は下総国岩井で佐竹・結城・小山らの連合軍に敗北を喫し、逆に古河一帯の占有権を失い、足利義氏は、重臣簗田晴助・持助父子を降伏の使者として派遣し、芳春院松嶺を幕府に改めて降伏の使者として派遣した。
古河落城に、北条氏政は新たに義氏の弟足利藤氏を傀儡の公方として、武蔵岩槻御所として置き、弟太田氏房と佐野氏忠を側に置き、古河失陥の動揺を抑えようとしたが、下総国内の北条方離脱には歯止めがかかなかった。
また、米沢に政宗が戻ったことで、上杉景勝は、越後国岩船郡の本庄繁長・大宝寺義勝父子を駆逐するに留めた。本庄父子は、先代大宝寺義氏を暗殺で失って家督を次いでいたその弟義興を急襲して攻め滅ぼし、大宝寺領を確保した。
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