争乱割拠・十一

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争乱割拠・十一

清水宗治からの申し入れに、大将山県昌景は、 「神妙なる申し入れ、この山県感服つかまつった。清水殿の今生最期の儀式、この山県が手出し一本させぬ。心安らかに、遂げられるようお伝え願いたい。」 というと、月清は感謝して城主に戻った。 そして、当日。清水宗治は、嫡子景治を従兄弟で女婿の中島元行に託し、鵜飼元辰とともに城を離れさせた。途中、黒田官兵衛の弟黒田養心の警護舟と出くわしたが、養心が、 「武士の情けじゃ。陣営まで、この黒田養心利高、弟の修理利則、図書直之共々、お送り申さん。」 といって、毛利の陣営まで送った。血気に流行った毛利兵がいきこんだが、小早川隆景にたしなめられ、黒田兄弟は無事に帰った。 その頃、高松城では宗治が舟に乗り込み出ようとした。その時、老臣白井治嘉が突如として抜刀し、腹をかっさばいて、 「殿、切腹は如何に簡単にござる。治嘉、魂魄となって殿のお供つかまつらん。」 というと絶命した。それを見た宗治が、 「このたわけめ、汝に家族のことを頼もうと思うたのに。待っておれ、わしも直にまいるゆえ。」 と涙を堪えながら、乗船した。宗治、その兄月清入道宗知、弟の難波伝兵衛は、幕府方からの検使浅利昌種、渡辺金大夫を乗せた舟のところまで来ると、一言、二言交わしてから、宗治が辞世を詠んだ、 「浮世をば いまこそ渡れ武士の 名を高松の苔に残して」 と。そして、三名は次々と割腹して果て、介錯した宗治配下も自害した。その姿を遠くから見届けた山県昌景は、 「武士の本質、これに見たり。もののふたるもの、かく処世あるべし。」 というと、城を小寺氏職、黒田職隆に接収させ、毛利軍の動向を睨んだ。
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