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争乱割拠・十二
備中の拠点高松城を失った毛利軍は、戦力を温存したまま倉敷、ついで高梁川まで後退した。幕府軍総大将山県昌景は、吉備津神社に本陣を移し、浅利昌種、下曽根信辰が先陣を司った。
毛利方の小早川隆景は、安国寺恵瓊と共に、主君毛利輝元と会談し、今後の対応策を練った。
吉川元春は、名代として口羽通良を出席させ、自らは、尼子残党の掃討を行っていたが、尼子方の山中鹿之介らに裏をかかれて詰めが出来なかった。
尼子勝久は、米子に拠点を置き、父誠久が率いた尼子精強部隊の新宮党生き残りや、子孫を糾合して鬼吉川と恐れられた吉川軍と激戦を繰り広げていた。
また、勝久の弟通久は横道兵庫助、帰参した大西高由、湯惟宗らとともに、尼子方に戻った牛尾久信の牛尾城に篭もって、吉川元春の長男元長、副将吉川経家、熊谷元直率いる軍勢と交戦していた。
吉川元春も強攻策ばかり採択していたわけではない。香川春継の献策で、尼子の旧臣で降将秋上伊織介を派遣して、山中鹿之介に翻意を促した、秋上は、
「貴殿を月山富田籠城の折、品川大膳と貴殿が一騎打ちをした折、手助けしたはずにござる。それはさておき、あのときのように、わしは貴殿を、いや、尼子勝久殿もお助けしたい。吉川元春殿は、高齢の月山富田城主天野隆重後任を貴殿に、尼子勝久殿にも石見に多大な領土をと厚遇を約束されておる。どうか、貴殿より、尼子勝久殿、神西元通殿を説得していただきたい。」
というと、鹿之介は一瞬瞑目してから、
「わしは、主家再興のために、日頃より三日月に我に七難八苦を与えたまえと願をかけておった。今、幕府軍として戦い、将軍家よりの御厚情を見限り毛利家につくなどありえようか。月山富田城は我らが力で取り戻す。そう、吉川殿にお伝え願いたい。」
というと、自らの鹿の角と三日月の前立のついた兜を見据えた。それを見た秋上は、
「ならば、今度は戦場にて会見舞えよう。」
といって戻っていった。
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