828人が本棚に入れています
本棚に追加
争乱割拠・十三
吉川元春が尼子残党に手こずってる頃、小早川隆景は、安国寺恵瓊とともに幕府からの密使楠木正虎と長谷川宗任と面談していた。楠木は、
「そもそも、毛利家は鎌倉幕府の重鎮大江広元公を祖とするお家柄、幕府を支える立場にござりもうそう。ここは、決断あってしかるべしと存じますが、いかがでございましょう。」
というと、長谷川も、
「わてら堺の商人も、毛利様とは商いのつながりもありまするが、博多の商人神谷紹策さんから聞くところによりますと、毛利様は筑前、筑後、豊前の支配下の武士さんの叛服に悩まされているようですな。」
と言われるなど押され気味に近かった。現実に九州の諸将の動向どころか、領国内の旧大内家や、旧尼子家なとの旧臣らの動向にも目配りをせねばならず、重臣林就長を長宗我部元親に派遣して、援護を願ったが不調に終わり、毛利首脳陣は迷走していた。
そんな状況を見据えてか、幕府は吉田兼見・神龍院梵舜兄弟を密使として小早川隆景のもとへ派遣、更に細川藤賢、古田織部が派遣された。続いて、公家衆二条昭実、鷹司信房、九条兼孝が、そして、前関白近衛前久、二条晴良が派遣された。
小早川隆景は、主君毛利輝元を始め、穂井田元清、天野元政、毛利秀包ら一族重臣と協議した。結果、激論数日、毛利輝元は帰順を決意し、吉備津神社の幕府本陣へ、養子秀元、重臣国司元相、桂就延らをつけて出頭させ、恭順の意を伝えた。
最初のコメントを投稿しよう!