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猿動く・四
浅井長政から、江北一帯を奪取した羽柴秀吉は、今浜城に木下家定、杉原家次、小出秀政を、美濃口からの睨みの横山城に蜂須賀小六、中島氏種、山口正弘を城番として置き、また、三田村城番兼国友村鉄砲奉行に浅野長政を置いた。
秀吉は、小谷城に羽柴秀長を城代として置き、副将に、指揮下が加藤清正、福島正則、加藤嘉明、片桐且元、脇坂安治、平野長泰、石河一光、桜井佐吉、糟屋武則を置いた。
また、賤ヶ岳に青木重矩、加藤光泰を配置し、朽木谷を牽制した。その他、佐和山城の磯野員昌の動向に注意を払うべく、尾藤知宣、戸田勝隆、小野木重次、仙石秀久、一柳直末、毛利勝信が城番として入り、磯野員昌は彦根城に出された。
美濃を預かる河窪信実は、大垣城の安藤守就に近江進軍を命じ、援軍の将日根野弘就、西尾光教、軍監加藤景忠を派遣した。
江北失陥の報告を受けていた越後春日山城に駐留している武田勝頼は、上杉と柴田の両方に挟まれながらも、よく持ちこたえていた。
そんな中、猛将城伊庵が最期のときを迎えていた。勝頼は、良薬名医を募ったが、病状は回復せず、伊庵は、見舞いに訪れた勝頼に言った、
「この年まで、勝頼様付家老として仕えられたこと、嬉しく思いまする。あの川中島の激闘で、宿敵謙信に一発放つことも出来たことも良きことにございました。勝頼様には、伊庵の言い方にご立腹もありましたでございましょうがせず、くれぐれも短慮なく、家臣らと諮りながら、ことをすすめて下され。その姿、天界から見させて頂きまする。」
といって数日後、伊庵は逝去した。子息昌茂は、伊庵の古参旗本将兵を、新たに奉行として春日山に入って父のお気に入りになっていた大谷吉継と、伊庵に仕えていた可児才蔵に一部分けた。
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