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猿動く・五
城伊庵が亡くなり、また、古参の降将大熊朝秀も亡くなったことに、栃尾の上杉景勝は、家老の直江兼続とはかり、新発田城を攻略し、新発田重家を討ち取った。
そこへ、羽柴秀吉からの使者として、前野長康、土方雄氏を派遣し、織田信忠との同盟を告げさせた。上杉景景は、重臣らと協議して承諾した。
羽柴秀吉は、織田信忠のもとに伺候して、家老池田恒興、丹羽長秀、柴田勝家、滝川一益、村井貞勝らと同格の扱いを受けた。
帰り際、秀吉は、丹羽長秀邸を病床の長秀を見舞った。丹羽邸を辞去したとき、丹羽配下の長束正家に長秀の病状をよく聞いた。その態度を聞いた長秀は、
「秀吉め、我が命脈をはかるか。されど、猿面冠者に当家の浮沈をかけるしかあるまいて。」
と声を押し殺すようにして言った。
秀吉は、同行した尾藤知宣、増田長盛と歩きながら、
「内政の丹羽があの有り様では長くはないの。そのあとはわしが家政を牛耳ってみせよう。」
といってほくそ笑んで、江北へと戻った。
その頃、武田信玄は、朽木谷の朽木元綱に江北の監視を命じる一方、細川藤孝の息子忠興、三渕秋豪を軍勢とともに派遣。また、若狭の明智光秀にも織田勢攻めを厳しくするように命じた。
また、近江の江南にある六角には、伊勢の北畠政成、大和の筒井定次の加勢を受けて、江北攻撃を命じた。
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