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猿動く・六
その頃、春日山城とにらみ合いを続けていた柴田勝家は、御館を密かに引き払い、方々の味方を集結させて、越中から越前の織田信忠への合流を図った。
だが、春日山からの追っ手は出なかったものの、飛騨より出張していた江馬、能登の畠山、越中の武田派に次々と奇襲を受けて、将兵を失った。
特に、越中では唐人親広率いる軍勢と交戦中に原長頼兄弟を失い、また、敗走を装った能登の畠山家臣長続連を、勝家の制止を振り切って追跡した甥の佐久間盛政を、待ち伏せの銃撃で失った。
織田信忠と合流したときには、従う将兵は僅かであり、自らも負傷していた。その姿を見て羽柴秀吉は、増田長盛に、
「あちこちに、勝家の進路を注進したが、きてしまったわい、せっかく、丹羽がいなくなりかけたのに邪魔な。長盛、石田三成、中村一氏、田中吉政らと協議し、手を打て。」
というと、長盛は退席した。秀吉は、茶をすすりながら、竹中重固を呼び寄せて、
「引き続き、丹羽が側近長束正家に、長秀の命数を聞くべし。また、池田恒興の戦力を落としておきたい。駒を二つばかり取っておきたい。」
というと、重固はかしこまっていった。
数日して、池田恒興が守る陣地の手薄なとこに、曾根昌世が、精鋭鉄砲隊を率いて強襲、応戦した池田恒興の長男元助、婿の森長可が戦死した。
数日後、息子と婿の仇をとるべく池田恒興は、主命を待たずして、九頭竜川を渡河し、富田、小林ら朝倉旧臣で構成する越前先方衆と雑賀の混成部隊と交戦し、戦死した。
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