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猿動く・七
池田恒興死して、数日して丹羽長秀の容態が急変した。既に命脈を悟っていた長秀は、息子の長重らを枕頭に呼び寄せて、
「既に我が命脈が尽きようとしておる。長重よ、そちは丹羽の家をよく守り、くれぐれも不忠すべからず。戦は、柴田勝家、滝川一益とはかり、うちは村井貞勝、前田玄以らとはかるべし。決して、羽柴秀吉には、ゆめゆめ油断すべからず。」
というと、少し眠りたいと長重らに伝えて下がらせた。
長秀は、ゆっくりと起きて座り込むと、床の間にある刀を抜いて、
「この丹羽長秀、病により衰弱しながら死を待つは本意に非ず。」
というと、抜刀して渾身の力をもって腹を切った。異変を察して長重らが部屋に駆け込むと、長重は病巣に冒された内臓を取り出し、長束正家を睨みつけ、
「正家、秀吉に伝えるがよい。猿めに引導を渡されぬうちに旅立ったとな。」
というと、正家は血相を変えて逃げ出した。力つきようとした長秀は、
「長重、人はよく見てつかえよ。はて、わしは信長公のもとに馳せ参じなければならぬ、池田殿、佐々殿、前田殿が待っておる。」
というと事切れた。
この後、織田信忠は、柴田勝家を筆頭家老に、次席に滝川一益、三席に羽柴秀吉を置いた。
その頃、武田信玄は、浅井長政の旧領奪回の願いを聞き届け、南近江、伊賀、美濃、伊勢に動員令を発布し、大将に細川藤孝、副将に蒲生氏郷、安藤守就、軍監荒木村重を任じて北近江を攻めさせた。
数万の討伐軍のもとに、浅井旧臣赤尾清綱、雨森弥兵衛、藤堂高虎らが集結し、また、小川祐忠が寝返って帰順、籠城して苦戦していた磯野員昌も息を吹き返した。
この動きに、羽柴秀吉のもとに続々と敗走してきた配下の武将らが詰め寄りどうするか質したが、秀吉は動揺もせず、
「我が予想の通り、恐れるに及ばず。」
といって、意に介さず。また、美濃口から侵攻した幕府軍からの使者稲葉正成、百々綱家らの降伏勧告にも応じるようではなかった。
それでも、蜂須賀正勝に、正勝側近稲田稙元、または戸田勝隆らを派遣して、何やら気脈を通じるような動きをとるなどした。
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