四国平定・五

1/1
前へ
/224ページ
次へ

四国平定・五

国境を突破した金子の兵は、土佐側の国境に展開した長宗我部家の久武親直の陣中に逃げ込んだ。 金子の兵は、主家の危急存亡の危機を久武に伝えた。久武は、逃げ込んできた兵を陣中の一カ所に休息させた。 そして、門田康澄を呼び出し、 「あの金子の兵を本城へ案内すると称し、密かに人目無きとこで、汝率いる根来衆をもって消しされ。」 というと、門田はかしこまって出て行った。その夜、門田らに案内された金子残党は皆殺しにされ、そのことは内密に滝本寺非有に使者を持って知らされた。非有は、兄の谷忠澄を訪ねて、 「兄上、久武殿より。無縁仏の菩提を弔って欲しいとの使者が参りました。」 というと、忠澄は書いていた書状の筆を置いて、 「もはや、無用な戦をもって、当家を危急存亡の危機に陥れる訳にはいかぬ。惨いかもしれぬが、これも当家存続の為の策じゃ。」 というと、また、筆を取って書状を記した。 数日後、金子の策が失敗と判断した籠城軍のもとに、小早川隆景は、冷泉元満、椋梨景良を降伏勧告の使者と送り、幼君石川城虎丸助命を条件に、幼君を惑わし、無用な戦を起こした罪で、近藤尚盛、徳永信貞、松木安村、塩出重綱、藤田芳雄の五名の切腹を求めた。 重臣五名は迷わず、幼君及び籠城した将兵、また関係する婦女子の助命もあるならと返答し、毛利側も承諾した。 翌日、近藤は小早川隆景の陣、徳永は神保隆常の陣、塩出は飯田義武の陣、松木は児玉就英の陣、藤田は冷泉元満の陣でそれぞれ割腹し果てた。 石川城虎丸は、中通言が後見役として預かった。
/224ページ

最初のコメントを投稿しよう!

828人が本棚に入れています
本棚に追加