四国平定・六

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四国平定・六

伊予が平定された頃、長宗我部家では、谷忠澄、滝本寺非有、吉田重康、比江山親興、佐竹親辰らは、主君長宗我部元親に無益な戦いを諌め、恭順の意を取るように懇請していた。 吉田重康は、 「この今でも、我が弟江村親家が加わっている阿波遠征軍が、海部城近辺で幾人も落命していることか。御屋形、無駄死には負けじゃ、遠征軍も無駄死になりかねん。」 というと、谷が、 「余力を残し、いつか機会を待ちましょう。もはや、四面楚歌のような有り様。この土佐とて、中村御所の一条様、安芸、山田、天竺らの滅ぼした土豪らの服従させている武士が、蜂起しかねん。今が、潮時。今しか、ありえませぬ。」 というと、元親も悩み、そういった状態から数日後、三好軍に志和勘助、小早川軍に専当安家、海上の大友軍に勝賀実信を派遣して、停戦と降伏の意を伝え、将軍家には、元親の従弟たる比江山親興が、一円但馬守、中山田泰吉を連れて、先に謝意に上京した。 その間、各地の部隊に武装解除を命じる使者を派遣した。この命令に、各地の諸将も渋々、従って、武装解除した。 四国平定を達成した信玄は、弟の信廉、甥の信豊を前にして、 「あと少し。我が寿命が持つか、九州、北陸、南関東を掌中とするか、詰めの戦いが始まる。」 というと、群臣召集を命じた。
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