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九州平定・二
その夜、大友軍は夜陰に紛れて撤退し、島津軍がそれに気付いたのは、翌朝だった。
島津軍日向路遠征軍の島津義弘は、先手の大将喜入季久に追撃を下知、同輩川田義朗は吉凶を占って、凶と出たので、大隅の肝付家中を先頭にさせるように進言、季久は言を取り入れ、肝付家中の伊地知重秀、薬丸兼政を先発させた。
これを遠くで見ていた川崎祐長は、稲津、山田の諸将と相談し、奇襲戦法での応戦を決めた。
そうとも知らず、戦意も揚がらない島津軍先頭の肝付家中は慎重に進み、その後ろを島津義弘の女婿島津朝久が、長寿院盛淳、東郷重位に護られながら進んだ。
しばらくして、山田匡徳が肝付家中の前に現れて、
「我こそは、伊東家の山田匡徳じゃ。腕に覚えの有る者、向かってまいれ。」
というと、肝付家中から数人出たが、たちまち斬り伏せられ、
「話にならん。」
といって、馬首を返して走り去った。これに激高した伊地知は、薬丸の制止を振り切り急激な追撃を開始した。そのため、島津朝久隊と距離があいてしまった。
山田は、追撃してきた肝付家中を見ながら、頃合いよしとみて、合図を送った。すると、そこらじゅうから、伊東家中の将兵が斬り込み、肝付家中は大混乱に陥り、奮戦していた伊地知は山田に討たれ、救援にかけつけた薬丸も、乱戦の中に落命した。
この有り様を見た島津朝久は後退を指示、長寿院らの肝付家中を見捨てるのかとの問いにもかかわらず、馬首を返して後退した。そこを、今度は、川崎、稲津隊が左右から挟撃さたため、島津朝久隊も散々に討たれた。
伊東家三将は、肝付家中を丁重に首を取らずに安置して大友軍の後を追った。
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