九州平定・七

1/1
827人が本棚に入れています
本棚に追加
/224ページ

九州平定・七

吉川元春の意を受けた大友宗麟は、臼杵鎮定、戸次鎮秀の両名を天草五人衆の唯一の親大友派となっていた志岐城主志岐麟泉のもとに派遣し、宗麟、そして、元春の意を伝えた。 大友宗麟からの使者が帰った後、志岐麟泉は、天草種元、大矢野種基、上津浦種直、栖本親高を招請し、今後を協議した。 天草種元は、 「既に有馬晴信殿に毛利家中林就長、大村喜前殿のもとに同じ毛利家中桂元盛が接触にきているそうな。」 というと、栖本親高が、 「今の肥前は、島津の龍造寺隆信を討ち取った勢いはなく、龍造寺家が必ずしも優勢ではないが、善戦しておって膠着状態。」 といえば、大矢野種基も、 「肥前の諸将のもとには、幕府側の諸将から、勧誘の使者が頻繁に往来してるそうな。」 というと、上津浦種直は重い口調で、 「そればかりではない。我らが与力している相良家中でも、幕府に同調する重臣がいるそうじゃ。」 と述べると麟泉が、 「我が城に、大友家中より、古庄一閑が返答を待っておる。また、有馬、大村の両氏次第だが、大村家の先頃、他界された先代純忠殿は、有馬家の先代義貞殿の次弟。従兄弟で争うような結果は出さない筈じゃ。」 といって一呼吸置くと、 「そこでじゃ、相良家重臣深水頼方殿と密かに会談し、それから決めようと思うのだが。」 というと、全員が納得した。帰路、天草種元は空を仰ぎ見て、十字を空に描いて、 「天におわします我が主ゼウスよ、我らを護りたまえ。」 と祈った。 数日して、有馬晴信は、父の弟有田盛、同じく西郷純久・純堯父子を人質として、大村喜前は、弟の純宣、純直と、義兄弟の長崎純景を人質に出した。それに追従して、平戸城主松浦隆信は、籠手田安一、志佐純高を、対馬領主宗義智は、重臣柳川調智、柚谷康広をそれぞれ派遣して恭順の意をとった。
/224ページ

最初のコメントを投稿しよう!