九州平定・十一

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九州平定・十一

追撃した大友・十河勢は、島津の伏兵の強力な鉄砲隊により、散々に撃ちかけられ、次々と射殺された。一斉射撃が終わった時、島津軍の伊集院久治、新納忠元の率いる部隊が猛攻を仕掛けてきた。これを見て、長宗我部信親は、退却を進言する家臣らを叱咤激励し、 「敗走する味方を見捨てるなど、土佐の長宗我部の者に非ず。今生の名残りに、土佐人の意気込みを見せてくれよう。」 というと、大薙刀を水車の如く振り回して、島津勢に突入した。 それを見て、長宗我部家臣福留儀重が、 「若殿をお助けせよ、若殿を死なせてはならぬ。者共、続け、続け。」 といって、部隊を率いて信親を追った。 激闘は一昼夜に及び、、大友勢の朽網統直は叔父平助共々、銃弾に倒れ、十河存保も討ち死にした。 長宗我部勢も、入交蔵人、奥宮正家、三宮左兵衛ら多数が戦死した。長宗我部信親の周りには、桑名親光、福留儀重らの隊が守るだけとなった。 儀重が、親光に、 「親光、わしが斬り込みをかける。その隙に、若殿とともに、本陣へ駆け込め。」 というと、親光が止めようとしたが、儀重は瞬く間に馬に乗ると、血刀を掲げて、信親を見ながら微笑を浮かべて、 「これより、我が福留隼人隊は、敵に斬り込みをかけ、若殿の血路を開く。命を惜しむな、名を惜しめ。」 というと、最後に、 「若殿、これにて、お暇つかまつる。」 というと、出撃した。その後、親光は、負傷している長宗我部信親を馬に乗せ、福留隊に続いた。 だが、島津勢は幾重にも取り囲んでいた為、福留儀重も討ち死にし、桑名親光も信親の前に立ちふさがった鉄砲隊に弓術で応戦したが、矢がなくなると斬りこみをかけて、銃弾の前に倒れた。 満身創痍になっていた信親は、上空を眺めて、 「父上。」 というと、大薙刀を振り回して、次々と敵兵を斬り捨て、叩き捨てた。ついに大薙刀は折れ、刀も折れ、力も尽きた信親は鈴木内膳という者に討たれた。
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