一日前、午前

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 教室まで戻るのは面倒臭かったがどっちみち教室に忘れ物をしていたので取りに行かねばならないのだ。  自主的に行くのと、人に言われて行くのとでは何故こうも気分に差が出るのだろうか。  部室棟の昇降口まで来ると、見覚えのある後ろ姿が見えた。 「叶さん?」 「……え?」  呼び掛けると、叶さんはぼんやりしていたようで、少し遅れて振り返った。 「あー……わり、ぼーっとしてた」  この憂いを帯びた表情が男女問わず人気があった。  中性的な整った顔立ちで、色素の薄い茶髪は少し長めで、いつも後ろで一つに結わえている。  補足だが、叶さんは三つ子である。  三人ともとてもよく似ていて、というか同じ顔なのだが正直見分ける方法が俺にはよく分からなかった。  ただ、叶さんだけがいつも髪を結わえているのでこの人が叶さんだと判断しただけだ。 「菱荻くん、部活は?」  叶さんが、いつもの無愛想な顔で尋ねるが、なんだか違和感があるような気がした。  なんだかいつもよりも、言葉が柔らかいように聞こえる。 「終わりましたよ。今日どうしたんですか?」  副部長である叶さんの事だから、無断欠席というのは無いはずだ。  目付きは悪いが、根は真面目な人なのだ。  成績は常にトップクラスだし、芸に秀でていて多彩だと聞いている。 「えっと、ちょっとな」 「なんか……聞いちゃいけない事ですか?」  叶さんの歯切れが少し悪かった。 「あぁ、兄貴の葬式」 「嘘ぉ!?」 「嘘」  堪えるように叶さんが笑った。  少しブラックジョークが過ぎると思う。  だが、この程度の冗談は彼等の間では日常茶飯事だった。  特に叶さんと、その兄、小石(こいし)さんの間では。  彼等三人の兄にあたる小石さんは、今年で三十歳になるのだが、未だに定職に就かずふらふらしている。  多少ブラコンの気があるらしいが、そのブラコンっぷりはどうやら、叶さんにしか発せられないらしい。
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