義務教育の卒業式

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姉を始め、うちの家族は私が、イジメに遭い、苦しんでいたことを理解していたのだろうか…。 今でも、疑問で仕方がない。けど、不登校になった際、最初の頃は、何で私だけ行かないんだと母に責めていたのは記憶している。 けれど、姉妹だからこそ分かる部分もあったのであろう。 最初のうちは、言っていたが、その後は、全く言わなかった。 ただ、ここで思い出したんだが、不登校の時、姉は、高校生だった。 中間や期末試験がある時は、通常よりも早くに帰宅する。一人で帰ってくるなら、私が居ても違和感は無いだろうが、時々友達と帰宅することが何度かあった。 姉の友達が…。 『あれ?真友美ちゃん、学校は…?』 『風邪を引いてしまって…』 そんなことを繰り返していたが、いつしか、姉は私を庇うのが苦痛になったのであろう。私が学校でイジメに遭い、不登校であることを告げていたらしい。 『真友美ちゃん、真友美ちゃんの左手に関しては気の毒と思うけど、世の中には沢山、障害で、もっともっと苦しんでいる人が居るのよ。真友美ちゃんは、左手以外は、全て機能が正常じゃないの。世の中には、人の手助け無しじゃ生きられない人が沢山いるんだから…』姉の友達Fさん。 そんなことを言われても…辛いモノは辛いんだって、その時は、思っていた。Fさんが、優しさを込めて言ってくれていたとは知らずに…。 後に聞いた話だったが、Fさんは、うちと同じ3人きょうだいで、Fさんの下に、弟さん妹さんが居たそうで、妹さんは、生まれつき、脳に障害があり、生まれた時から、歩くことも話すことも、一人で食事を取ることも…全てに対し人の手助け無しでは生きていけない体と言うことを聞かされた。家が、自営業を営み農家だったため、妹の面倒は、殆どFさんとお母さんで交代でやっていたそうだ。
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