一章・蛇と林檎 ~1~

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私が並ぶ教師の列にその人物はまだ姿を現さない。 ……相変わらず、彼は週明けの早起きが駄目だ。 と、後方からがらりと体育館の扉が少しだけ開く音がする。 生徒の数人がチラリと振り返り、そしてクスクス笑いながら小さく囀る。 中肉中背の、眼鏡の男。慌てふためきながら、早歩きでこちらに向かってくる。 壇上の校長はその人物を見て若干眉を潜め、だが一瞬後にはまた何気ない表情に戻り話しを続ける。 生物教諭である出槌 慶吾( イヅチ ケイゴ)は柔和な顔にヘラヘラと笑いを浮かべ、へコヘコと頭を下げながら教師列の最後尾にその身を滑り込ませる。 深々と溜息を付いた。 寝坊をして来たことがまざまざと解る風体であった。 頭、ぼさぼさ。無精髭はそのまま。シャツとスラックスにはアイロンすらかかっておらず、おまけにボタンを掛違えている。アレなら寝巻きであるスウェットの上下で来た方がまだマシだ、と彼の不甲斐なさに軽く頭を降った。 「全く、出槌先生の遅刻癖も困りものですなぁ」 私の溜息を聞き付けたのか、私の前に居る日本史の大和田教諭が首を少しこちらへ傾けそう囁いてきた。 ザビエル型に禿げ上がった頭皮が、体育館のライトを受けてぬらりと反射している。 私は半笑いでそれに答えた。 「ええ、本当に」 軽いその相槌に満足したのか、「全くこれだから最近の若い教諭は」と呟きながら頷き、彼はまた壇上の校長へと向き直る。 私は少し可笑しい。 私は出槌より2歳は若い。大和田の言う「若い教諭」には私自分も含まれているのかしら?と思った。 そして大和田自身も……かつては貴方も若かった癖に、と。 彼は事有るごとに、出槌に食って掛かる。 面白くないのだ。彼の気に食わぬ「最近の若い教諭」が、生徒達に絶大な人気を誇るのが。 今も少女達は横目で遅刻してきた野暮ったい風体の教師をチラチラ観察し、小さなクスクス笑いを上げている。
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