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『独り言』の前に私がトラックに乗るまでを少々書きたいと思います。
私が生まれたのは 九州の炭坑町。
昭和の時代です。
自動車を見るのは 1日に一度か二度。勿論 自家用車を持っている家庭など殆どありません。
ただ炭坑町なので ブルドーザーとダンプカーだけは抗山に行けば 蟻の行列のようにいましたね😃
あの「青春の門」の舞台です。
私はそのダンプカーを毎日眺めながら「乗りたい」ただただ「乗りたい」そう思いつつ日暮れまで 危険立ち入り禁止の抗内に 忍び込んだ真面目な優等生でした。
小学校一年生の作文で 「『僕(私)が大人になったら」と言う題材を与えられ、書いた作文が 「僕が大人になったら、日本一大きなトラックの運転手になります」などと原稿用紙4枚位に書いた記憶があります。
オマケに朝日新聞の『小さな目大賞』までもらいました。他の友達が「パイロット」「社長」「大学教授」「お医者さん」「プロ野球選手」等と高い夢を書いているのに 私は 『運ちゃん』です。
達成率のかなり高い夢です。
バスに乗っては 運転席の真後ろが 私の指定席でした。
先に乗っている人が居れば席を代わってもらいました。
お年寄りに席を代わってもらう 優しい子です。ハンドル・クラッチ・ブレーキ・アクセル・シフトレバーの関連操作をジックリ観察しました。
勉強熱心な賢い子です。
学校の勉強はした記憶がありません。
小学校4年生の時 唯一自家用車を持っている金持ちの叔父さんが 佐賀から 新年の挨拶に来ました。
チャンス到来です。
酔っ払って寝込んだ叔父さんの ポケットからキーを抜き取りセドリックで ドライブです。
当時のセドリックは最高級車です。
2時間ほど町内をドライブした後、無事に帰宅。
何処にもぶつからず お巡りさんに捕まる事なく、車を壊さず 帰ってきた 天才少年です。
その夜 私の顔の形が変わったのは ご想像通り 間違いありません。
運転に自信を持った私は 少し離れた隣町のスクラップ置き場に 下校と同時に直行しました。
そこには大好きな
「車」
が山積みされているんですから。
ハンドルを握り シフトレバーをガチャガチャとバーチャルに運転してました。
勿論学校の勉強は そっちのけです。
毎日自分の『夢』に向かって邁進しました。
学校の勉強は してません。
その努力の甲斐あってか 中学二年生の時 私に更なるチャンスが訪れたのです。
兄の友人が 炭坑のダンプカーの運転手をしていたのです。
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