男はお人好しだった。

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男は少女に急かされて絵本を描いている。 どの道、もともと今日は絵本を描いて過ごそうと決めていたので、別に反対する理由はなかった。 明日も明後日も、絵本を描いて過ごすつもりだったので、別に良かった。 少女は彼の後ろに体育座りで座りこんで、今か今かとくだらない絵本が作られるのを待っている。 短い話を一冊作り上げた時には、もう世界は夜に支配されていた。 電気の明かりだけが光る部屋の中で、少女は男の書いた絵本を見ながらひとしきり笑った。 楽しい話ではなかった。 とても、悲しいお話を男は描いたはずだった。 なのに、少女は笑っていた。 「とてもハッピーエンドなお話なの」 おまけに、そんな事を呟き始める始末だ。 少女が、どうしてここにきたのかを問い詰める事も、名前を聞く事もすっかり忘れてしまった男は 「いや、バッドエンドだけど」 と小さな声で呟いた。 彼はバッドエンドしか作れないタイプの作家だった。 いつだって彼の絵本には悲しみがつきまとった。 おかげで、絵本は人気が出なかった。 「アナタがバッドエンドだと思おうが、読んだ私がハッピーエンドだと思えば、このお話はハッピーエンドなの」 ずいぶんと勝手な言い分だと思ったが、男は言い返せなかった。 全てを決めるのは、作者ではなく読者だと彼は思っていたからだ。 売れる売れないは、結局読者が鍵を握っている。 作者が、「この本は売れる」と思っても実際売れない時もあるし、「この本は駄目だなぁ」と思った本が売れる事もある。 彼女の感覚が少しずれているというのは、男にも理解できた。 それでも、彼は彼女がハッピーエンドだと笑ってくれたのが、少しだけ嬉しかった。 彼は今まで『自分はバッドエンドしか描けない人間だ』と思っていたが、それは違ったのだ。
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