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視界一杯に夥しく罫線の引かれたページを目にするのが、時折猛烈に嫌になることがある。 隣には教科書、そして辞書。広げてはみるものの、シャーペンを手に取るのも億劫だし、更に言えば、ノートの上に散らかった消しゴムのかすも気持ちをどんどん下降させる。 足元にあるゴミ箱に、ノートの上に載ったごみが落ちないよう、開いたまま持ち上げると、一気に捨てた。 だからといって、すっきりするわけでもなければ、また何度も書いては消してを繰り返したノートに何かを書くつもりもない。 椅子の背凭れに身を預けて大きく息を吐いた後、右側にある窓を見た。茶色のカーテンに覆われて、窓の外を見ることはできないが、窓の外の風景は想像できた。 いつも通りカーテンを開ければ、その向こうにも窓があって、明かりがついているに違いない。 壁時計をちらりと見れば、針は二時半を指していた。もちろん、昼間ではない。 深夜である。 多分彼女は、まだ起きているだろう。 昔からそうだった。 彼女には、勝ったためしがない。 隣の兼森家とは仲が良かった。特に親同士が。 隣の家は著名な音楽一家だった。お父さんの方はピアニストで、お母さんはソプラノ歌手。そして一人娘はバイオリニストといった具合だ。 うちの両親といえば、父親は地味な銀行員だし、母親はパート勤めをする主婦である。ごく普通の一般家庭だが、ゴルフだの料理だのという趣味の領域がお互いの家族を結びつけたのかもしれない。 そんなわけで、兼森家とは小さい頃からの付き合いになっている。 特に娘とは、幼稚園から小学、中学と通じて同じ学校に通い、クラスまで一緒という幼なじみである。高校になってからは、あちらは音楽学校、こちらは進学校と分かれてしまったが。 それを機に、彼女とはぱったり会わなくなった。それはそうだろう。今まで顔を合わせていたのは、家が隣同士で学校も同じだっただけなのだから。 だから昨日の夜ご飯のときに、母親が食事をお裾分けしに行ったと聞いて、思い出したのだ。 隣家の両親が三年前に飛行機事故で亡くなって以来、母親は隣で一人暮らしをする彼女を何かと気遣っていた。 あの子が寂しいとか思っているとするなら驚きである。 小さい頃から、兼森朝は気が強かった。 それでなくても両親が超がつくほど有名人であるためか、彼女はいじめられる傾向があった。でも、いつだってそれを難なく跳ね除けていた。
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