戦の匂い

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元亀三年(1572) 五月三日夜半 飯野城(島津家) 島津義弘は城砦を背に南の空を見つめて、ひとり立ち尽くしていた。 その丘には不規則に地隙が走り、地隙を覆い隠すように叢林と藪が散在している。 この木崎原の地は薩摩、大隅、日向、肥後の境目に接する要衝の地 『真幸院』にあり、伊藤氏に東の地を奪われていた島津氏は、この真幸院を奪われると北上する足がかりを全く失うことになる。 ここを死守する事が至上命題であり、その役割が義弘に託されたのであった。
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