7人が本棚に入れています
本棚に追加
その一時間後に、雪菜は容態が急変し、そのまま息を引き取った。
僕は何とか辿り着いた丘の上で、自転車を止めながら、青く澄んだ空を見上げた。
「ずるいよ、雪菜は。結局、何が足りないのか教えてくれないんだもんな」
僕はもういない人に語りかけた。神も霊魂も信じないが、死んだ人に語りかけるぐらいは、自分で許す事にしている。
僕は荷台からイーゼルとキャンパスを下ろして、丘の頂上にセットした。油絵の具の道具を用意しながら、何度も何度も空を見上げた。
「でもね、分かっちゃったよ。雪菜」
僕は空に向かって、意地悪く笑った。それは雪菜への、本当に最後の反撃のつもりで。
「僕の絵に足りないものが、何なのか」
そう言って僕はキャンパスを染める。下書きも何もしていない真っ白なキャンパスは、それでもあっという間に染められてゆく。
今日はクリスマスだ。聖なる一日だ。
僕はキリスト教でも何でもない、ただの不神主義者だけど、それでもこの日ぐらいは、センチメンタルに浸ってみるのもいいだろうと思う。
僕は描き上げた絵を、丘の頂上に置いたまま、自転車に跨がった。
「雪菜」
僕は、僕が描き上げた絵に向かって、呟いた。
「僕、今では、雪も大好きだよ」
いつ無くなるかも分からない絵を見つめて、僕は言葉を繋げる。
「空は、雪に隠されるんじゃないんだ」
キャンパス一杯に描かれた、雪の降る空の絵。
「空は雪の陰に隠れてる時が、最も美しいんだよ」
その絵の中に、本当に僅かに姿を覗かせる、青空がある。
それが僕の答えだった。
「雪菜」
僕はもう一度だけ、最後のつもりで彼女の名を呼んだ。
「さよなら」
そして僕は、雪の絵を残したまま、丘を下っていった。
その日、晴れるはずだった僕の町は、二年連続のホワイトクリスマスを迎えた。
最初のコメントを投稿しよう!