第十二章:池田屋事件《後編》

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吉田が命を絶つ瞬間を、誰もが微動だに出来ずに見ていた中、一人だけ動いた人影があった。 華乃と近藤のすぐ脇を通り過ぎて飛んでゆく物。それは刀の鞘だった。 刃を納めていない軽い鞘は、円を描きながら吉田の元に飛んでゆき、彼の手に見事当たった。 バシィ! 吉田は一瞬痛みで顔をしかめるものの、気を持ち直して再び刃を強く首に押しつけようした。 たが、その刀さえも乱暴に奪われる。 「華乃が『いや』っつってんだろーが!!」 突然姿を現した永倉によって。 永倉は、己の手が傷つくのもお構い無しに吉田から刀を奪うと、それを遠くに投げ捨てた。 その時に刃を掠めたらしく、彼の右手親指付近からは、血が止めどなく溢れていた。 しかし永倉は、その怪我に堪えた様子もなく、ただ右手を振って血を飛ばしただけだった。 「……なん…で…」 吉田は呆然と永倉を見る。 なぜ?という疑問しか湧いてこない。 「アナタ…僕のこと…嫌いな筈じゃ…?」 「ああ、大っ嫌いだ。オメェが死のうがどうなろうが俺の知ったこっちゃない」 「けどな」と、永倉はキッと吉田を睨み付ける。 「お前が死んだら華乃が泣くんだよ。もう…誰もアイツを泣かせるんじゃねぇよ!」 その永倉の一喝に、吉田はハッとして華乃を見る。 一番泣かせたくないと思っていた少女が、まさに今、大粒の涙を流していた。 「華…乃……」 強い罪悪感に襲われる。 自分が死ぬことで、まさか彼女が悲しむとは思っていなかった。 華乃の顔は、絶望から安堵へ、そして怒りへと表情を変えた。 「稔麿…!っ…お前なぁ!!」 華乃は吉田に駆け寄ると、彼の頬を強く平手打ちした。 パァンと、乾いた音が室内に響き渡る。 「…っ」 吉田は初めて叩かれたことに衝撃を受けつつ、華乃を恐る恐る見た。 彼女は目に涙を溜めたまま、まるで鬼の如く睨み付けてくる。 「勝手な真似して…!もし死んでみろ!地獄の果てまで追いかけるからな!?」 「華乃…」 「も…っ…このっ馬鹿が…っ」 「…ごめん…泣かないで……」 「泣いてない!怒ってるんだ!私を女扱いするな!!」 「……君、ほんと素直じゃないね」 「なんだとぉ!?」 すっかり元通りになった彼らを見て、永倉は不安そうに近藤の決断を待った。 すると近藤は、永倉の視線に気づいたらしく、ひとつ咳払いした後こう言った。 「吉田稔麿、君には今夜死んでもらう」  
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