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一流のヴァイオリニストになる。
それが、小さい頃から抱き、今もなお続いている俺の夢だった。
なぜヴァイオリニストだったのかは、よく憶えていない。
気付けば俺はヴァイオリンを欲しがって、知らぬ内にヴァイオリンは俺の世界になっていた。
最初から俺にはヴァイオリニストになる以外の選択肢はなかったかのように。
別に構わないと思う。
有名になれば、今まで苦労をかけた両親に恩返しが出来るし。
それに、ヴァイオリンが俺に無ければ、間違いなく八千代とは出逢えなかったのだから。
音楽を続けているだけで、どれぐらいの負担がかかるのだろう。
いずれにせよ、中流家庭の我が家では、決して安い額ではないはずだ。
それでも、俺の夢物語を実現させようと奔走してくれた両親。
必ず、一流のヴァイオリニストになって両親に楽をさせる。
ヴァイオリニストになる事が、俺の使命にすら思えた。
そして、八千代と出逢ってから、また夢がひとつ増えた。
俺が、八千代の隣に立てるぐらいの力量に一一彼女のピアノみたいに、ひとりで世界を彩れるようになって。
ふたりで世界を魅せる、と。
有り得ない夢、所詮は夢語りだ。
脆く淡く、口にするだけで綿雪のように溶けてしまいそうな叶わない夢。
だがそれでも、何もせずに諦める事など出来なくて。
八千代とすごす以外の時間は、殆どをヴァイオリンに割いた。
夢を叶えたくて。
彼女の隣にいる資格が欲しくて。
美人で、学年首席の技量と頭脳を持つ八千代の傍にいるためには、彼女に認めて貰うだけではダメだった。
うるさく囀る周りさえも黙らせる技巧を、俺は欲した。
そして相応の技術を身に付けられたその時、この想いを伝えよう。
一一大好きだ。愛してる。
それまで、この台詞は口にしない事にしようと己に誓う。
雪間を進む街の灯りに照らされて、はらはらと宙を舞う牡丹雪。
きれいね、と八千代が感嘆を漏らし、俺は笑いながら頷く。
「そうだな」
こうして、高校1年の聖夜は過ぎていく。
この幸福はずっと続くものだと、そんな勘違いを犯したままに。
一一終わりなんかないって。
はらはらり。
牡丹雪が舞う。
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