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秋になると、八千代の容体は悪くなり、学校にもあまり姿を見せなくなっていた。
彼女が学校に来ていない日は、いつも彼女の部屋に行って、寮の消灯時間までずっと看病をした。
八千代は病を患っていた。
それは確かに、俺があの夢を視るようになってからだった。
しかし、夢とその病など唯の偶然で何の関係もないと。
ふたりとも唯の風邪だと高を括ってあまり心配していなかった。
だが。
1週間、2週間と病は長引き、いつの間にかずるずると1ヶ月が経っていた。
間違いなく、普通ではなかった。
八千代の呼吸は咳をする度止まりそうで、その身は毎日熱に浮かされていた。
夢で視た通りの筋書きだった。
だが、その拭い去れぬ不安を八千代に悟られまいと、俺は普段以上に明るく振る舞った。
結局その病がある程度治まったのは、夏休み終盤だった。
長々とその病を引き摺ったために、海やら旅行やらの、前々から考えいた計画がおじゃんになってしまった。
「ごめんね……いっつも牡丹にばっかり、迷惑かけて……」
俺は軽口で彼女を慰めようとしたが、八千代の目尻に浮かぶ涙を見て、それは軽挙妄動だと悟った。
「私なんか、いない方が……私には、牡丹と一緒にいる資格なんか一一」
「そんな事ない」
八千代の言葉を遮るように、俺は彼女を抱き締める。
「俺は八千代と出逢えて、本当に幸せだと思ってる」
初めて触れる彼女の身体は想像以上に華奢で、ほんの少し力を込めただけで、硝子細工のように砕けそうだった。
艶のある黒髪が眼前で揺れ、仄かにシャンプーの甘い香りがする。
「大好きだ八千代。愛してる」
数秒間の静寂の後、八千代から嗚咽が漏れる。「いいの?」
「私なんかでいいの?」
八千代が答えを求めるように、強く俺の身体を抱き締めた。
「何度も言わせんなよ。俺は、お前の傍にいたいんだ」
俺も応えるように抱き締め返す。決して壊れぬように優しく包み込むみたいに。
腕の中で八千代が泣いている。
俺は弱い。
まだ俺は八千代の隣にいる資格を貰っていないのに。
あっさり、ひどくあっさりと。
己に課した枷を外してしまった。
これ以上、弱気な八千代を見ていられなかったから。
これが、俺たちの一一。
最初で最後の、恋人らしい一時。
日常は泡沫のように儚く消えて。
日々は白雪のように淡く溶ける。
一一夢は、必ず終わるものよ?
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