牡丹雪 ‐舞い落つ幻‐

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俺は高校に進学した。目標としていた芸術高校に、である。 その、県内で最高位の芸術高校の中にあって、それでも八千代は孤高の地位を確立していた。 芸術において、技術はすべてだ。 羨みも嫉みも、憧れさえも磨り潰す絶対的な技量を八千代は持っていた。 彼女はそれを行使して、自らが興味を抱かない者との間に壁を作っていた。 ただ嬉しい事に俺は彼女に選ばれたらしく、八千代は俺にだけ、その笑顔を見せてくれた。 「なぜって? 私言ったじゃない『少しだけおもしろいわ』って」 1年前一一中学3年のクリスマス。 八千代に『陳腐』と言われた俺は当然食い下がった。 言葉の通りよ、と八千代は淀みなく言う。「そのままだと劣悪でさえあるわね」 「ただ」 彼女は続ける。 「私と君なら、その響きは世界さえ虜に出来るわ」 なんとも高圧的で意味不明な言辞を高らかに宣言すると、彼女はピアノの前に座る。 「君の『夢幻』を聴かせて?」 俺は突然の事で呆気に取られたが、事態を呑み込むとヴァイオリンを構えた。 無論、彼女の大言壮語を真に受けた訳ではなく、『劣悪』だと罵られた技術で彼女を見返したかったからだ。 ふたりだけ音楽室に、再びヴァイオリンの音色が反響する。 優しく儚げなトロイメライは、雪舞う夕暮れに消えていく。 そこに。 ぽん、とピアノの旋律が加わり、音は重なり交わり、絡み合いながら共鳴した。 見える世界が変わる。 流れるトロイメライに世界は清かに、華麗に彩度を増していく。 変貌する世界の中心は俺たち。 奏でる手は休めず、黒白の鍵盤を辿る八千代を見る。 夕陽のせいか、顔は少しばかり朱に染まっていた。 一一あぁ。本当に彼女とならば。 羨望や嫉妬や憧憬は、その無慈悲な才覚に、跡形もなく磨り潰される。 残ったのは、何て事のない、唯の恋心だった。 一一俺は彼女と出逢った時から、もう既に恋焦がれて……。 だが、その純粋な想いは、いつの間にか嫉視で塗り潰されていた。 なぜ、その才能を持つのが俺ではないのか、と。 奇しくもその日はクリスマス。 八千代への恋慕の念を、想い出させてくれた事を一一。 俺は存在すら定かでないサンタクロースに、ありったけの感謝を捧げた。
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