伊達政宗

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仙台城は山城で平和な世の治世には適さぬとして自分の死後、平城へ移ることを奨めていた。 逆に言えば生前は死の前まで天下を取る野心を捨てていなかったといわれる。 政宗は隙あらば天下を取ろうと狙っていたが中央から常に警戒されていた。 彼は「あと20年早く生まれていれば‥‥(天下が取れていたのに)」 と悔しがっていたといわれている。
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