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 その日、故郷の里を出立してから何度目かとなるオークの襲撃を受けた。見通しの良い岩場だったので、相手の斥候に早く気付くことができたのが幸いだった。  オークは獰猛な戦闘種族で、強靭な肌が、さらに硬い鎧で覆われている。その口から吐き出される息は毒のように空気を蝕み、甘酸っぱい腐臭を撒き散らしていた。  彼女は震える手で剣を構えながら、定まることのない瞳の揺れる視界いっぱいに展開されるその光景を見ていた。  凶暴なオークに、勇ましい戦士達が武器を振る。剣と斧のぶつかる金属音が、空気を切り裂いて放たれた矢の光のごとく飛ぶ音が、落雷のようなオーク達の雄叫びが、地面から胎動のように伝わる彼らの躍動が、あまりにも非現実だった。  平穏を絵に描いたような里で生まれ、十五年間一度も里を出ずに育った彼女は、こんな混沌を知らない。  自分に寄り添う、同じように震える同郷の二人の男達を見ていると、血肉の舞う背景とはいかにも不相応で現実味の薄さに拍車がかかる。  彼らはおそらく彼女を守るためにそこに立っていたのだが、彼らがその手に握りしめた鍋や棒を振ることは滅多にない。  旅の仲間である剣士や鍛冶師、エルフが主にオークを狩った。  彼女は友人の肩越しに一人の黒髪の剣士を目で追っていた。彼は強かった。彫刻のように整った顔立ちにオークの返り血を浴びて、それが彼の内なる鋭さを際立たせていて鬼のように美しかった。彼がオークを次々となぎ倒していくのを、彼女は見つめていた。 「セシル!逃げろ!」  不意に友人の声がした。彼女がはっとして身構えると、右手側に一体のオークが迫っていた。もう高々と斧を頭上に掲げて、彼女の頭蓋めがけてそれを振り下ろさんとしている。 「ぁ…」  驚愕で声も出なかったはずなのだが、自分の悲鳴よりも先にオークのうめき声を聞いた。  立ち尽くす彼女の前でオークは斧を振り上げた体制で静止し、口から黒い血のあぶくを吹き出して、そしてゆっくりその場に倒れた。首の付け根、兜と鎧の間に深々と短刀が刺さっている。 「セシリア…!」  もう一度名前を呼ばれた。今度は友人ではない。もっと野太い、大人の男の声だ。 「ビ、ビィ…」  彼女も彼の名を呼んだ。そして、彼の背後にも一体のオークが迫っているのを見た――――。
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