プロローグ 

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【1】 やはり、女は良い。妬み、僻み、その他一切の視線から、俺を解放してくれる。 川口は、半身を起こしたベッドの上で思った。 無骨な手で無精髭を摩り、持て余した口で煙草をくわえる。 サイドボードに置かれていたその銘柄は、ラッキーストライク。過酷な芸能界の中でも、些細な幸せを忘れずにと言う、川口なりの願いが込められていた。 何時からだろうか、薄汚れたこの世界の色に染まってしまったのは。 お気に入りのジッポーで煙草に灰を作り、物思いに耽る。肺胞に紫煙を巡らせ、溜め息ついでにそれを吐き出した。 高校を卒業してからは、進学も就職もせずに、バイトと博打に明け暮れる日々。魔が差した訳では無いが、法律に触れる様な事もしてきた。 満足していたと言えば嘘になるが、この生活も悪くは無い。そう思っていたのも、また事実であった。 そんな堕落した日々を過ごしていたある日、街中を闊歩していた川口に声を掛けたのが、現在所属しているプロダクションの社長、牧田祐一郎であった。 野心に満ち溢れた川口の瞳に魅入られた牧田は、当時二十歳を過ぎたばかりであった川口に、その場でスカウトを試みる。 元々芸能界に憧れを抱いていた川口は、刺激を求めていた矢先の誘いだった為、すんなりとその申し出を受け入れた。 今の生活を抜け出せるのなら、何だってやってやる。 まともに生きる為のきっかけを与えてくれた牧田に、川口は深い感謝の念を抱く。 だが、生活は一向に好転の兆しを見せなかった。芸能プロダクションに所属したと言っても、演技の経験も無い素人同然の俳優を使う程、芸能界は甘い所では無かったのだ。 規模としてはそれ程小さく無かったものの、給与制だったプロダクションが仕事の無い川口に支給するそれは、微々たる物であった。 元来負けん気が強かった川口は、必死に演技の勉強をし、舞台の脇役やドラマのエキストラ等の仕事を、三年掛かりで獲得する。 何度となく挫折しそうになったが、同時にやりがいも感じていた。 零から叩き上げた川口の演技は、何時しかある大物監督の目に留まり、ドラマの準主役の座を射止めるまでに至ったのだ。 それが火種となり、川口は一躍時の人となった。今から十年前、二十四歳の頃の話である。 「それが今じゃこの有り様だ」 過去の自分を思い出し、川口は悪態を吐いた。  
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