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沖田総司の付用人として半年がすぎたが、永倉新八、斉藤一、吉村貫一朗、この仲良し四人組の素顔にはまいったね。
この四人と近藤勇に土方歳三が共に六尺近い大男で、定規で計ったように揃っている。
何を食えばそんなに育つのか、教えてほしいほどだ。
この四人組、頭の中は子供のままで剣豪になってしまっようだよ。
逆に考えると、子供っぽいイタズラ心と好奇心が、剣技を育てたのかもしれないな。
沖田総司は、言葉も武士らしく話そうとはしないし、相手によって使い分けることもしない。
局長と俺に同じ調子で話しかけるからね、凄いもんだよ。
その頃、諸般の情勢ますます混沌を極め、我々サンカ衆への需要も高まり、見知った者だけでも十名以上が京にいた。
サンカ衆同士は切りあわぬ掟のため、雇主が敵味方でも天井裏は平和なもんだったよ。
忍仕事のツテで、後の奥羽越列藩同盟の雄藩長岡藩の家臣で、家老になる河井継之助と近藤勇の会見を実現させたこともある。
河井継之助が、もはや武力は刀ではなく、新式の連発銃や大砲であると力説した。
近藤勇も肌では感じていただろうが、天然理心流師範としての血が、その改革をゆるさなかったようだ。
それに池田屋騒動が起きて、新選組は飛ぶ鳥を落とす勢いになったからねえ。
祇園祭の宵宮の夜だった。
かねてから調監察方が内偵していた、不逞浪士の密会に切り込んだのよ。
新選組総出役の大仕事さ。
浪士は総勢二十三人だったね。
土方歳三率いる平隊士が池田屋を包囲した後、屋根から俺が確認し副長助勤以上の幹部が切り込んだ。
実際に二階まで切り込んだのは、近藤勇と沖田総司に俺の三人だった。
それぞれが二、三人を切った後、三人背中合わせの車陣になり切りまくった。
近藤勇と沖田総司は六尺近い大男で、俺は五尺に足りない小兵だろ。
みいんな俺んとこにくるのよ。
だから、最後は車陣から飛び出して切りまくった。
俺は沖田総司の脇差しを使った。
よほどの銘刀だったんだろうね、刃こぼれ一つなかったよ。
さあ大変だ。明くる日から天下の新選組よ。
入隊希望者は列をなすは、金銀の差し入れも引きも切らずだ。
俺にも両手で持てないくらいの、小判の褒美がでたよ。
使い道がないから、重くて邪魔なだけだったなあ。
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