第二章

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さて、この先をどう読むかだ なにせ、女性仮託ならではの世界観をばっさりと否定してしまったのだ 『それのとしの しはすの はつかあまり、ひとひのひの…』 このようなまどろっこしい言い回しにした理由を説明しなければならない 普通に承平四年十ニ月ニ十一日と書かなかった理由である   女性仮託を前提とする校注ではこれを[朧化表現]としている 承平四年だけれども、女性仮託に合わせた文学的設定という解釈がなされているのだ この【土左日記】においては事実ばかりではなく、フィクションも入っている そのため、この解釈を鵜呑みにしてきた   しかし、前章で述べたように女性仮託自体が覆されている ならばそれらに変わる、確たる解釈がなければならない   これに対し筆者はこう述べている 「承平四年と特定するのはとんでもない注記」 なぜなら、『それのとし』は、いつの年のことであろうと、この話には関係ないからである   少し話を戻してみよう 前章で漢字文で書く内容を仮名文で書くというわけではないことは述べた 筆者はこうも言っている 「事実を簡潔に記録する漢字文では叙述の対象としない、心の動きに関わる事柄を、日本語の繊細な感覚を生かした雅の文体(仮名文)で叙述しようという意思表示」 つまり、主観を介入させることも、事実とフィクションとを織り交ぜることも自由としたのだ   これを受けて私は紀貫之は自分の体験を元に、「ある男が国司の任を解かれて帰京する旅の物語」を書いていたと解釈する 『それのとし』を「どの年であるか言わないでおく」として、物語を読んでいるつもりで【土左日記】を読んでみるのも面白い いや、そうするべきだったのだと筆者は言っているのだ     『しはすのはつかあまりひとひのひ』 こう表現したことにより、『しはす』の『はつか』をすでに一日過ぎ、新年まで日数が残っていないことを実感させる 門出の時間帯が、常識はずれとも言える遅い時間帯であるのも、準備していて気がついたら周囲は真っ暗になっていたという事情 それなら次の日に…と思うのだが、そこは筆者は「帰心矢の如しという心境」と述べている 別に紀貫之の門出がこの日のこの時間である必要はないのだ あくまでも物語の主人公の門出である
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