蒼穹の平和

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 まず一つ目。  ジルハム。これは決して新種のハムスターのことではない。健吾があのロボットにつけたあだ名のようなものだ。ユイがロボットのことを〈ジールヴェン〉と呼んでいるのは、この一四日間で何度も耳にした。由来は至極単純で、つまりはジールヴェン→ジル→ジル公→ジルハムである。  それから二つ目。  ユイの行動を「見に行く」ではなく「会いに行く」と表現しているところ。  彼女はいつもジルハムに語りかける。時には眩しいほどの笑顔であったり、時には憂いに満ちた寂しい顔であったり……。そのどちらも、健吾達には見せたことのない彼女の飾らない表情だった。まるで心を許した愛しい恋人に声をかけるかのような。だから、「会いに行く」なのである。  嫉妬していないと言えば嘘になる。健吾も健全な男だ。身近にあれほど美しく魅力的な女の子がいる。仮にこれが下心からくる感情であったとしても、自然と惹かれてしまうのは責められることではない。  ジルハムという言葉の響きに若干蔑称の意が含まれている事実と、健吾の嫉妬心が全くの無関係だとは言い切れないだろう。      ◇  答えを受け入れるしかないと思った。それはずっと疑ってきて、しかしあまりに非現実的だと自ら切り捨てていたある答え。  自分は、別の世界に来てしまったのではあるまいか。  もう二週間も全く戦っていないなんて信じられなかった。青い空のもとで。街は活気に溢れ。人々は笑顔を絶やさない。まるで絵に描いたような平和世界。  その全ては、ユイが知る日本では絶対に有り得ないはずのもの。しかしならばどうやって元いた場所に戻るのか。途方もなく漠然とした問いかけに頭が重くなる。そもそも何故自分は戻ろうとしているのか。  この街で一番大きなデパートの屋上にある噴水広場。中央噴水を囲うベンチのひとつに座って、頭上を仰いだ。 「ここにいれば、もう戦わなくていいのかもしれない」  ユイの呟きが青い空へと溶けていく。  先ほどから自らが発している、世界、という言葉に思わず気が遠退きそうになる。周りに映る平和などは全部嘘っぱちで、ユイを欺いてからかう為の大掛かりなセットやエキストラである可能性は? 空に見える青だって、本当は新型衛星の超広角ホロフィールドが形成する幻である可能性は?  
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