13人が本棚に入れています
本棚に追加
病名は左心室と右心室が逆になってぃる(医学用語は忘れた)、心室中核欠損症、肺動脈弁欠損症。すぐにでも手術が必要だった。けれど、体力がなく手術ができないため3ヶ月延命措置で体力を温存した。1ヶ月は実家で母乳を搾乳し、彼が病へ届ける毎日だった。
2ヶ月目から彼は次第に病院へ行かなくなった。
そのため、私が車を運転し、毎日届けた。
朝から掃除、洗濯、弁当作り、現場作業、買い物、事務、夕食作り、病院という生活を続けた。
そして、長男の手術。
説明を受けながら、何度も泣いた。
手術前の一週間、付き添いが許された。保育器に入りたくさんの管に繋がれた我が子を見て泣いた。
保育器の中で抱いた。
手術前3日。
保育器から出して抱く事を許された。
泣く度に保育器から出して抱き締め、我が子を愛しく思った。手術当日、私の両親と彼が病室へ来た。
私は一週間ほぼ寝ていないために、目が腫れていた。
後は、ひたすら病室で手術の成功を祈るしかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!