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まだ幼さの残る少年はピサと言った。端正な顔では無いが、可愛らしい雰囲気が漂っている。絵本の登場人物のようだとシャルは思った。
次に、自分がいる円筒形の部屋は何処なのかを尋ねる。「ここはシャルの住んでる部屋だよ」と返された。
「全く覚えが無いわ」それならば、どうしてあなたが、当たり前のようにわたしの部屋にいるわけ、とピサを睨みつける。
「僕は、シャルと朝食を食べるのが習慣なんだ」
「そんな習慣、全然知らないんだけど」
「随分と前からこうしてるじゃん」ピサが嘆く。シャルは無垢な少年に対して不快感を抱いた。
シャルの記憶は、白紙の状態なのとは少し違い、記憶の一部が喪失された状態だった。
父親が十三歳の時に、母親が十六歳の時に病気で逝去したこと。それから養子縁組があって、遠い親戚の家での養女としての生活に困惑していたこと。
しっかりと、自分の辿ってきた人生は存在している。なのに、今ここに至る経緯がシャルには全く分からない。その部分だけが、丸ごとすっぽりと抜けている。
シャルの人生の中にピサの存在は無い。そんな見知らぬ人間に「習慣」などと言われると、畏怖せざるを得なかった。
もしかしたら、記憶喪失などというのは少年のでっち上げた嘘の話なのかも知れない。親しい人間になりすました誘拐犯ではないだろうか、とさえ思えた。自分は正常で、何も知らないのはピサの方では、と。
「やっぱり、僕のこと疑ってるね」ピサが眉を下げる。過敏だった。
嘘をついている人間は、ターゲットの話に敏感になる。己に落ち度は無いかと、必要以上に神経を研ぎ澄ます。そして、墓穴を掘る。シャルが一度ピサに抱いてしまった疑念は、濃くなるばかりだった。
「僕が、嘘ついてると思う?」
「ええ、そうよ」何の躊躇いも無く、シャルは冷たく即答する。見知らぬ他人より、自分の方が信用できるに決まっている。
未知なる物への口出しは好ましくない。だが、常識を超える程に未知が過ぎるのならば、外部から口出しをしていいだろう、と。
「じゃあ、外に出ようよ」少年がフォークをテーブルに置き、星空を連想させるカーテンを指差す。
「わたしを人質から解放してくれるの?」
「違うって!」少年の顔の色が赤くなる。
「僕以外の人も、シャルの頭がおかしいって証言してくれる筈だよ」
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