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箸や茶碗が、手からこぼれ落ちた。シュートのとき、突然、膝から力が抜けて転けた。
繰り返す不自然な行動に、ストバス仲間が心配を始めた。結局、渉の家がやってる総合病院に、無理矢理、連れて行かれた。いろんな検査をされたあげく、親が呼ばれた。
「とてもめずらしい病気です」
渉の父親が言った。名前など難しすぎて覚えられなかった。
脳が機能を停止していくのだそうだ。その速度は人によって違うらしい。ゆっくりと少しずつ力を失っていく人もいると言っていた。その逆は説明されなかった。さっくり終わりを告げる脳もあるってことだろう。機能を失った脳は、やがて眠りにつく。心臓を動かすのは機械がやってくれるが、寝ている以外なにもできなくなる。意識さえも、やがてなくしてしまう。
そういうのを植物人間と呼ぶのだろうか。
この病気の権威が大学病院にいるから、紹介状を書くと言われた。それ以上、彼にできることはないのだろう。黙って話を聞いていた母親は、渉の親父に丁寧に頭を下げた。母親の細い背中は、まっすぐに伸びていた。
どこか遠くからそれらの光景を眺めていた。十七になったばかりの頭の悪い自分にわかることは、なにもなかった。
その日の夜も、いつもと同じように駅前のコートに向かった。渉はホット紅茶の缶を差し出した。落とさないよう注意しながら、両手で受け取った。「サンキュ」と笑うと、いきなり抱きしめられた。
「ばかやろう」
渉の声が小さく耳の中でこだました。
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