平治元年(1159年)

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 そのような日々が一年ほど続いた。  静はいつものように鞍馬山に入った。  いつもであれば、書物を読む牛若だが、今日は何も持たずそこにたたずんでいた。 「牛若、何かあったの?」 牛若は、少し考えやがて振り切るように顔をあげた。 「私は、明朝ここを立ち、奥州に下る。このままでは父上の仇がとれない。正近のつてをたよる。」 「では、牛若の言ってた時が来たのですね。」 牛若はうなずいた。しかし、牛若の顔はなお暗い。 「何か心に重たいものがあるのですか?」 牛若は固く口を閉じたままだった。 「牛若がいなくなるのか…悲しいな。…ずっと一緒に居れたらいいのに。」  静は自分の口から出た言葉に驚きを隠せなかった。(私は牛若の事が好きだったんだ…でも、身分が違いすぎる…)  牛若は、静の言葉に反応したかのように意を決して話し始めた。 「私は静が好きだ。静とともに生きていきたい。しかし、今は静を連れて行きたい。しかし、奥州に下るのは危険だ。一緒に連れていけない。だから私が戻ってくるまで待ってて欲しい。」  牛若の慟哭ともいえる言葉にさらに驚きとまどった。 「牛若が私を連れて行きたいと言ってくれたのはうれしいけど、私にはお爺さまお婆さまの傍を離れるわけにはいきません。それに私と牛若とでは身分が違いすぎます。」  牛若は首を横にふった。「身分なんて関係ない。私はただ静が好きなんだ。それに静の祖父母の事も知っている。だから連れていけない。だからこれを私の代わりに受け取ってほしい。」  牛若は懐から緋扇を取り出し静に渡した。 「これは母が父から下され、私が幼き時にいただいたものだ。次に会う時まで持っていてくれ。これがあればどんなに変わっていても静だと分かる。」  静はしっかりと緋扇を握り締めた。静はいつも肌身離さず持っていた懐剣を牛若に渡した。  「では、私からはこれを。母からいただいたものです。これで私も牛若だとすぐ分かる。」  静は寂しげに笑った。牛若は一度だけ静を抱き締めた。 「かならず静のもとに戻る。必ず!」                牛若、静ともに十六歳の秋であった。
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