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5月28日
西暦1990年5月28日
この日が忘れられない最悪な一日になるなんて、当時⑤歳の俺M.Sは思ってなかった。
朝8:30目覚時計で起きた俺は、毎朝の日課で父T.Sを起こしにいった。
いつもと同じ朝、いつもと同じ父の姿。
いつもとかわらなかった。
父の体温が冷たい意外は。
俺は、意味すらわからなかった。
⑤歳になったばかりの子供に死なんてわかるはずもない。
とりあえず俺は、母に父が起きないと説明した。
母は、いつものことだ。と普段どおりだった。
なのに、母の感じが少し変わった気がした。
バタバタと電話をして、救急車と知らないオジサンと親戚のオジサンがやってきた。
そのとき、俺は救急車に乗れる!と嬉しかったのだけは覚えてる。
その気持ちとは裏腹に幼稚園に行かされた。
幼稚園が終り。
一人で家に帰った俺に、まっていたのは暗いだれもいない。
明かりの消えた家と、当時飼っていた犬のジョンだけだったんだ。
俺はジョンと一緒に待った。
一時間。
二時間。
三時間。
もう夕方で寒くなって来ても家は暗いまま。
近所の人は声をかけてくれるけど、今家を離れるとジョンが一人ぼっちだ。
どうしようもないまま、その日はジョンを抱いてそこで寝ていた。
次の日ジョンの鳴き声で目が覚めた。
そこに立っていたのは、兄の姿だった。
家の中を覗き込むと黒い服をきてる、親戚、父の友達のオジサン、近所のオジサン、親戚の兄、姉達が居てなんだか楽しくなってはしゃいでしまった。
居間には白い塊が置いてある。
なんだろう?
すぐ側で母も兄もみな泣いている。
被せてある布をめくると父が寝ている。
まだ起きてなかったのか。
俺は顔をビンタした。
祖母が俺を抱き締めこういった。
お父さんは死んだとよ。
?
?
はい?
死んだ?って何?理解なんて出来なかった。
今日で17年たった今俺は成人して、仕事もあって、でも父さんの人脈、暖かさには勝てないよ。
ずるいよ勝ち逃げなんて。
ほんとに、母には感謝してる。
父親がいない苦労なんてみんなにはわからなくてもいい。
でもこんな人間がいるんだって事も知っていて欲しい。
父は40代でクモ膜下出血だった。
信じなくてもかまわん。
事実だから。
非現実を認めたくないならそれはそれじゃねぇかなって思うしさ。
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