5月28日

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

5月28日

西暦1990年5月28日 この日が忘れられない最悪な一日になるなんて、当時⑤歳の俺M.Sは思ってなかった。 朝8:30目覚時計で起きた俺は、毎朝の日課で父T.Sを起こしにいった。 いつもと同じ朝、いつもと同じ父の姿。 いつもとかわらなかった。 父の体温が冷たい意外は。 俺は、意味すらわからなかった。 ⑤歳になったばかりの子供に死なんてわかるはずもない。 とりあえず俺は、母に父が起きないと説明した。 母は、いつものことだ。と普段どおりだった。 なのに、母の感じが少し変わった気がした。 バタバタと電話をして、救急車と知らないオジサンと親戚のオジサンがやってきた。 そのとき、俺は救急車に乗れる!と嬉しかったのだけは覚えてる。 その気持ちとは裏腹に幼稚園に行かされた。 幼稚園が終り。 一人で家に帰った俺に、まっていたのは暗いだれもいない。 明かりの消えた家と、当時飼っていた犬のジョンだけだったんだ。 俺はジョンと一緒に待った。 一時間。 二時間。 三時間。 もう夕方で寒くなって来ても家は暗いまま。 近所の人は声をかけてくれるけど、今家を離れるとジョンが一人ぼっちだ。 どうしようもないまま、その日はジョンを抱いてそこで寝ていた。 次の日ジョンの鳴き声で目が覚めた。 そこに立っていたのは、兄の姿だった。 家の中を覗き込むと黒い服をきてる、親戚、父の友達のオジサン、近所のオジサン、親戚の兄、姉達が居てなんだか楽しくなってはしゃいでしまった。 居間には白い塊が置いてある。 なんだろう? すぐ側で母も兄もみな泣いている。 被せてある布をめくると父が寝ている。 まだ起きてなかったのか。 俺は顔をビンタした。 祖母が俺を抱き締めこういった。 お父さんは死んだとよ。 ? ? はい? 死んだ?って何?理解なんて出来なかった。       今日で17年たった今俺は成人して、仕事もあって、でも父さんの人脈、暖かさには勝てないよ。 ずるいよ勝ち逃げなんて。 ほんとに、母には感謝してる。 父親がいない苦労なんてみんなにはわからなくてもいい。 でもこんな人間がいるんだって事も知っていて欲しい。 父は40代でクモ膜下出血だった。 信じなくてもかまわん。 事実だから。 非現実を認めたくないならそれはそれじゃねぇかなって思うしさ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!