名も知らぬ君へ。

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 君は綺麗な人だった。  流れるように艶やかな黒髪。今は閉じられているが、煌々と輝く大きな瞳。形のよい唇。スッと通った鼻筋。見るものを思わず惹き付ける、血色のように赤い洋服。  そしてなにより、その美しい表情。…──蒼白い顔に浮かぶ、微かな苦悶の表情。  僕は、終焉の美を飾るように儚げなその顔を見つめ、眠る君の冷たい唇にそっと口づけた。  一方的に重ねた唇から、僕の熱い吐息だけが漏れる。  君のその唇から溢れる真っ赤な蜜を啜って、閉じられた瞼に口づけを落とし、白い首筋に舌を這わせる。  だけど君はそれに応えてはくれない。  ……応えられない。  だって君があんまり美しいから…──だから僕は、名も知らぬ君を殺してしまったんだ。  君が、僕以外の人間に微笑みかけることのないように。僕以外の人間を見つめることのないように……。  そう、僕は僕の欲望のために、白かった君の洋服を血で紅く染めたんだ。  美しい君の時間を永遠に止めたんだ…──。
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