届かない距離

5/13
前へ
/13ページ
次へ
 試験中の校内は、静謐で、他人顔だ。  廊下を走る音も、怒鳴り声も、椅子や机の高く響く音もない。校内に抱く空気さえ、澱みなく澄んでいて、そして冷たい。  二年一組、一番後ろの自分の席に座り、手の中の携帯を眺める。  そこに並ぶ小さな文字は、とうに暗記した。それなのに、頭が空回る。何度も何度も眺める。視線はディスプレイの上を滑るだけだ。 『女子の間で、おまえと祐樹ができてるって噂が流れてる』  メールをみたとき、心臓が鳴いた。  隠し続けてきたはずの自分の想いが、誰かに暴露されたのかと思った。  送信者は、同じサッカー部の大輔だ。中学が同じで、気心が知れている。三年に姉がいる。情報の入手先も、そのあたりだろう。  変な噂があるけど、気にするな。男子は誰も信じちゃいない。でも、女子はこういうの、面白がるからな。事実なんて、どうでもいいんだ。おまえら二人が一緒にいるだけで、盛り上がってる。写メとか、撮られてるから、気をつけろ。  そういってきた。  誰にも、わかるはずない。  祐樹と出会って、一年半。あいつへと向かう想いは、ずっと隠して来たのだ。  こんな気持ち、誰にも言えない。祐樹にさえ、伝えられない。  なのに、噂が出回っている。火があるから、煙りが立つのだ。  もう、隠しきれないのだろうか。  抱え続けた想いは、溢れて、零れて、他人にさえ気付かれてしまうほど、悪化しているのだろうか。  わからない。考えても考えても、原因や理由なんて、見つからない。 「祐樹」  声になって零れた。  指先に、祐樹のくちびるの弾力が蘇る。あのとき触れた祐樹の温度が、じわりと広がり、体内に火を点ける。  瞼を閉じる。  あのまま、くちびるを重ねていたら・・・  くちびるを咬む。そして、息を吐き出した。椅子の背にもたれ、天井を睨む。  祐樹を傷つけたくない。  一緒にいるだけで、噂になるならば、今できることは、一つだけだ。  この想いを、手放そう。  吐き出した息は、白い球体を描いて、消えた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加