序章

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「魂を喰らう魔物、っていう意味の都市伝説なんです。日本でいう妖怪みたいな感じで、その魔物に襲われたら気が狂う、とか何とか」 「知らないなぁ、初めて聞いた。でもそれがどうかしたの?」 「坂口さんの娘さんが、その魔物に襲われた、っていう噂を聞きまして」 「坂口さん…って、あの常連の?」 「はい」 坂口雅子とは、紗香の店が開店した当初からの常連客だった。そういえば、ここ数か月は姿を見ていない。 「どこから聞いた話なの、それ?」 「坂口さんとたまに一緒に来られてたお客様が先程いらっしゃって、その様な事を言ってらしたんです。…まぁ、その魔物の話はどうでもいいんですけど、坂口さん自身が心労で入院なさってる、って聞いたもので。一応、お耳に入れておいた方がいいかなって思いまして」 坂口さんの娘さんが、魔物に襲われた? そんな馬鹿な。 紗香は、荒唐無稽なその話を、半ば以上信用していなかった。 しかし、坂口雅子の入院が事実ならば、見舞いには行くべきだろう。 遥は、紗香が連休である事を見越して、連絡を寄越してくれた様だ。 明日にでも見舞いに行ってみようか。 ふと気付くと、そばに祐介が立っていた。 せっかくの夜に、野暮な話題で長電話をしてしまっている事に気付く。 紗香は、遥との通話をまとめに入った。 その刹那。 紗香は背中に違和感を感じる。 振り返るが、室内灯を背にした祐介の顔が、逆光で見えない。 背中に手を回すと、指先にぬるりとした感触が伝わる。 と同時に、彼女の指先は、その違和感の正体を捉えた。 何かが、彼女の背中から生えている。 おもむろに、『それ』が引き抜かれた。 指先に、大量の『温度』を感じる。 「祐…ちゃん?」 嘘。 何故? 自分の身に起こった事が、紗香には信じられない。 彼は何かをつぶやいていた。小さい声が聞き取りにくい。 もっと、大きな声を出せばいいのに。 薄れゆく意識の中で、やっと気付いた。 彼がつぶやく、 『Happy Birthday』の歌詞。 紗香が最後に見た彼の瞳に、 『温度』は無かった。
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