第一章

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<1> JR総武線を乗り継いで、間嶋充生は飯田橋駅の改札を抜けた。 午後三時を少し回った時刻、駅周辺の人影はまばらだった。 間嶋が昔勤務していた新宿署界隈に比べれば、飯田橋駅は静かなものである。 歩道に出て右に曲がり、高架をくぐる。 角のコンビニに立ち寄って、軽食と煙草を買い込む。 銘柄はKENTの6mm、ロングサイズ。 間嶋は煙草を吸わない。購入した煙草は、これから尋ねる先の知人への手土産である。 以前、間違えて短いサイズの煙草を買って行った時、あの男は恐ろしく不機嫌に陥った。まして、手ぶらで行こうものなら、話を聞かないどころか事務所にさえ入れてくれないだろう。 コンビニを出て右に曲がる。やや傾斜がキツめの坂を50m程行けば、目的地のビルに辿り着く。 いつもの様にいつもの道を歩きながら、間嶋は今の自分の境遇を不思議に思う。 少し前までは、毎日時間に追われてあくせく働いていた。 新宿署捜査一課警部補。 それが、間嶋の過去の肩書きであった。 東京都内でも、治安の悪さで群を抜く新宿署管轄。 殺人、恐喝、売春、ヤクザ同士の抗争に、外国人不法労働者の摘発。 事件は毎日、何かしら発生する。 そんな雑多な世界で、間嶋は生きてきた。 自分は警官にあまり向いていない。 そう思いながらも、多忙な日々に押し流されて、日々勤務してきた。 退職時、十二年も勤務していた事を思い知り、少なからずの感慨にも浸った。 だが、仕事を辞めた事に、未練は無い。 ある人物と知り合いになったが為に、生活は激変した。 その人物の元へと、通う毎日。 傍から見れば、自堕落な日常と思われるかも知れない。しかし、生活自体は安定している。 件の人物、新庄央の元へと、間嶋は歩を進める。 『推理作家』。 それが、今の間嶋の肩書きである。 赤いレンガ地の、六階建てのビルが見えて来た。 その建物の三階に、 『新庄央探偵事務所』は居を構えている。
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